図書館シリーズ
「都内の車窓から」/堂上×郁

「きょ、教官っ!」
「どうした、郁?」
「目の前に壁が見えます!」
 瞬きしても目に入る光景は変らなかった。
 嘘でしょ!?
 ――郁は呆然と立ち竦んだ。

***

デートがしたいな。とぽつりと呟いたのは3日前のことである。
 郁としては、はずみで口からでてしまった言葉で、決しておねだりのつもりではなかったのだが――結果としてそれを耳に拾った堂上が「じゃ、行くか」と応えたことで、実現の運びとなった。
 ちょうど次の休みは平日である。
 世間一般のお勤め人は絶賛仕事中だし、学校の長い休みからも外れている時期だ。透いているだろうと考えていたが――甘かったァ!なにこれぇ!

「な、だから言ったんだ」
 固まる郁の隣で、平然と堂上が言う。
「平日の朝から出かけるなら、もう一時間はずらせと言った意味がわかったか?」
「はい…」

 通勤ラッシュ舐めてました!

 噂には聞いていたが、これは……噂以上ではなかろうか。
 実際目でみても信じられない。乗車率軽く200%はありそうな光景が日常だとは。これ、毎日繰り返すのー!?

「ド、ドアから溢れてるのに乗ろうとしてるんですけど!あ、あの人なんて足が浮いてますよ!あ、ドア閉まりきらないでカバン挟まれてます!」
「あれは駅員がなんとかするから大丈夫だ」
「え、だって入りきりませんよ?どう考えても……って、えーー!」

――入った。ギュウギュウ詰めという次元を越え、ドアの枠に手をかけて腕の力だけで無理に車内に乗り込もうとして尚はみ出てる乗客が……入るの、あれが!?
 はらはらと息を呑む郁の前で扉が無事しまる。白い手袋を嵌めた両手で、駅員は器用に扉を左右から中央に向かって動かすと、はみ出た何かを奥に押し込め中に収めて見せたのだ。
 元国鉄職員の意地をみた。
 ス、スゴイ、プロだー!

「茨城じゃあそこまでスゴいのありませんよ……」
 混んでいるといっても、隙間くらいはあった。しかし、これはもはや満員を通り越してあふれ出している。隙間なんて無きに等しい。
「そうか、こっちじゃあんなのは日常茶飯事だぞ。普通のサラリーマンでないことを感謝したくなる光景だよな」
「あ、あたしには無理です……」
 あの人の塊をかき分けて乗る!?じょ、冗談でしょ!?
 ただでさえ控えめな胸がさらに潰れてしまいそうだった。郁としてはご遠慮申し上げたい。
「トラック50周の訓練がマシですよー」
 へたりこみそうだった。

「で、提案だ。郁」
「な、なんでしょう……?」
「このままここにいても邪魔になる。なに、こんなラッシュはあと30分もすれば収まる。その間駅の構内の喫茶で休憩しないか?」
「え、でもせっかく早く出てきたのに……」
「郁!」
「は、はい!」
「今日の目的は?」
「え、えーと……」
「……デート。だろ?二人で茶を飲むことはデートとは言わんのか?」
「い、いいます!」
「じゃ、問題ないな。行くぞ」
 何気なく差し出された手に心臓が踊った。
「……どうした?」
「いえ、今行きます!」
 差し出された手にするりと自分の手を重ねる。すぐに堂上の指が絡められた。くすぐったくて恥ずかしい。しかもこんなに周りに人がいるのに――でも、嬉しかった。

「あたし、オレンジジュース飲みたいです」
「あればな」
「教官は何にします?」 
「コーヒーか紅茶でいい。それと、とりあえずそれ!呼び方直せ!」
「呼び方?」
「デートで教官はないだろ――電車乗るまでに直せ。遠足を引率する先生みたいな気分になって微妙だ」
「ぜ、善処します!」

 言葉どおり、「善処」はまさしく善処となった。
 物理的な壁(満員電車)は回避できたものの――精神的な壁(名前呼び) は遥か高みに見上げるばかりで。
 漸く、息も絶え絶えに乗り越えた頃にはラッシュアワーはとうの昔に通り過ぎてしまっていた。
 篤さんと、つかえなく呼べる日はまだ遠いようである。


Webclap
あとがき
堂上×郁。
某絵茶でふと思いついたお題をリクエストしてみたものの、誰も書き手がいそうにないと思い、自分で書いて見ました。
新婚堂郁。
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