(マリーのアトリエ)エンデルク×マリー
「はさみの歌」

 絶滅した毛根でさえも息を吹き返し、ふさっふさでつやつやさらさらの髪が頭頂部を飾る。
 男なら――ある一定の年の域に入り、毛根細胞が衰え、言葉を飾らず言えばハゲと呼ばれるようになってしまった人間ならば――夢見るはずだ。
 艶やかな地毛が、自らの頭を彩ることを。
 そんな夢と希望が一杯つまった、ろまんの塊育毛剤。
「最近、パパったらハゲてきたわねぇ。昔は格好よかったのに」
と愛妻に嘆かれ肩身を狭くする一家の大黒柱も、
「俺にも髪があればっ!!青春に再び返り咲くことも可能なのにっ!!」
とぶわわと滝の涙を流す暑苦しい男であっても。
 育毛剤を求める。求めてやまない。

 ――力ある錬金術師であれば、それを作ることも叶うと聞く。

 だから、彼らは錬金術師の門戸を叩くのだ。
「育毛剤を作ってほしい」と。


 * * * * 

 それは不幸な事故だった。
 とはいっても、彼女にとってそれはある意味で日常茶飯事のレベルの不幸だったから、余り深刻には考えていなかった。
「ああ、やっちゃったー!」
 マルローネは苦手な片づけを思ってとほほ、と肩を落とすくらいである。
 
(妖精さん、次は何時頃来てくれるんだっけなあ)
  
 確か、この間きたばかりのはずだ。
 それなのに、今マルローネが起こした「事故」の結果のせいだけでなく、彼女の工房は酷い有様になっていた。
 事故は状況を悪化させたが、しかしあくまでこの悪辣な環境になった原因の数%に過ぎない。
 マルローネが一日工房に篭る毎に、工房は目を覆わんばかりの惨状――物凄く汚くなっていく。
 妙齢の女性が暮らす部屋とはとてもいえない状態だ。

「うーん、生きているホウキでもまた作るしかないかなあ」
 自力で元の状態に戻す、という発想はマルローネにはない。
 いや、過去何度か試したことはあるのだ。
 だが、時として掃除をはじめる前よりも、掃除をした(はずの)後のほうが悪化していることもあったりするということが何度となくあり、マルローネは錬金術のアイテムに頼るか、妖精に頼むか、あるいは善意溢れる知人に頼むしかないと学習したらしい。
「でも、材料がそもそも、この中、なんだよねえ」
 マルローネはため息をついて足元を見下ろした。
 ちょっとした小山を築いているガラクタの塊――もとい、錬金術の材料と、本と、あとは本当にガラクタがいっしょくたに折り重なって何がどこにあるのかさっぱりわからない――が床にいくつか転がっていた。
 しかも、先ほどその小山の一つを蹴飛ばしてしまったため、床は足の踏み場もないというより「足の踏み場しかない」状態になっている。

「・・・・・・どうしよう」

 せめて、シアがきてくれば、と思うが彼女は生憎留守をしているはずだ。
 婚約者を訪ねて、この街を離れているはずである。

「とりあえず、普通のホウキとちりとりだけでも探さないと」

 マルローネは視線をあちらこちらにさまよわせながら、求める掃除用具を探すことにした。



 * * *


 
「きゃあああああああ!!」

 聖騎士といえば、強きを挫き、弱きを助けるものである。
 その隊長、エンデルクといえば、言うに及ばず、である。

 女性の悲鳴が聞こえたと思った瞬間には走り出していた。
 風もかくや、というほどすばやい滑り出し。
「どうした!」
 職人通りの赤いとんがり屋根がその発信源のようだ。
 見覚えがある、という認識をするよりも早く、彼は工房の扉を叩いた。
 応えがある前に「緊急時と判断し、開けさせてもらう!」と強引に開けた。

「何事だ!」
 ――そのとき、彼の目に入ったのは金色の滝だった。


 * * *

「なんだ・・・?」
 エンデルクは困惑したように金色の滝を凝視した。
 滝、と思ったものはよく見れば細い糸のようなものが束になって流れ落ちているのだった。
「糸?」
 恐る恐る手を伸ばして触れようとすると、
「エンデルク!」
 聞き覚えのある声がどこからかした。

「・・・・・・どこから?」
「ここよ、ここ!」
「悪戯はやめてもらおうか。私は今、つきあっている暇はない」
 エンデルクはぎん、と睨んだ。
 女性の悲鳴が聞こえたのだ。危機に瀕している人間がいるかもしれない最中に、悪戯など悪質にも程がある。
「悪戯じゃないってば!目の前にいるでしょ!」
「目の前?この糸がしゃべっているというのか?」
「そんなはずないでしょ!もう、エンデルクったら!あたしよ、あたし」
「あたしという知り合いはいないが」
「声でわかってよ!あ、た、し。マルローネよ!」
「・・・・・・マルローネ?」

 そういえば、この赤いとんがり屋根の家は見知った錬金術師のものだった、ということを遅ればせながら思い出す。
「そうすると、先ほどの悲鳴はお前か。どこにいるんだ?ひょっとして実験に失敗して、姿が代わり、見えなくなって、それに気付いて悲鳴を上げたのか?」
「ちょっとー!実験に失敗したわけでも、姿が見えなくなったわけでもないわよ!勝手に話を作らないで!・・・・・・失敗はしたけどね」
 ぼそり、と付け加える。
「何かいったか?」
 最後だけ、なんだか不明瞭で聞き取りにくかった。
「何も言ってないわよ。とにかく、あたしはあんたの目の前よ」
「しかし、糸しか見えないが・・・・・・」
「糸じゃないわよ、それはあたしの髪の毛。・・・・・・・手違いで、強力な育毛剤を被っちゃったのよ」

「ひょっとして、さっきの悲鳴は」
「あたしが転んで、育毛剤を被って、そうしたら髪の毛がぎゅんぎゅん伸びてきた時の悲鳴よ」

 ――悲鳴の真相はそういうことだったらしい。


 * * *


 チョキン、チョキン、と金属製の道具が何かを断つ音がした。
 金属製の道具は鋏であり、断たれているのはマルローネの髪の毛だ。

「ずいぶんと、伸びたものだな」

 鋏を手にしているのはエンデルク。
 日頃使い慣れた刃物とは違うものを操って、彼はマルローネの散髪をさせられていた。
 もっとも、初めから彼が立候補したわけではない。
 ただ、マルローネが自分で自分の髪を断とうとして、絡まり、エンデルクまで巻き込まれそうになって、彼はため息つきつき
「貸せ、私がやる」と申し出たのだ。

「武器屋のおじさんに頼まれたもので、かなり強力になるよう作ってたからね〜。効果絶大よ」
「依頼の品か」
「そう。あーあ。まだ日にちがあるからいいけど、作り直さなきゃダメだわ」
「材料はあるのか?」
「辛うじてね」

 チョキン、チョキン、という鋏の奏でる音が辺りに響く。

「ただ、手間がかかるのが面倒くさいかなあ」
「そんなに手間がかかるのか?」
「うーん、魔力の微調整が必要なのよね。それと、材料を細かく計らないと失敗するし。細かい作業苦手なのよ」
「それは知っている」
「うん、だからこれも助かったわ。自分で髪切るより、あんたのほうが絶対上手いだろうし」
「過信はするな。私が女の髪を切るのはこれが初めてだ」
「あんたでなくても、美容師でもあるまいし、そうそう女性の髪を切る機会なんてないわよ」
「それもそうだな」
 確かに、女性の髪をホイホイ切る機会があっても困る。
「そうよ。・・・・・・それにしても、じっとしているのって苦手だわ」
「もう少し待て。これだけ長さがあると、一回で一気にばっさりと切るわけにもいかない。何度かに分けて切るしかないだろう」
「わかってるわよ。苦手だけど、嫌じゃないわ。あんたに髪触られるの気持ちいいし」
「・・・・・・・・そうか?」
「うん」

 本当に気持ちよさそうにマルローネが目を細めて笑った。

「髪の毛触られるのは気持ちいいし、切ってもらってる間におしゃべりできるし、これって一石二鳥ってやつじゃない?」
「お前がそう思うなら、そうなのだろう」
 長い豪奢な金の色をした一房が、マルローネの肩を滑り落ちていった。


 * * *

「ねぇ、また切ってくれる?」
 漸く長い長い髪に隠れていた顔が漸く露になった頃、マルローネは漸く発掘した手鏡で自分の頭の完成度を見て満足そうに笑った。

「・・・・・・たまになら」
 エンデルクはただし、と付け加える。
「実験の失敗やら、こういう事故で髪が伸びた時以外ならな」
「滅多にないわよ、こんなこと」
 ――エンデルクは笑うマルローネを、疑わしい目で見た。
「ないってば!」
「そうか。わかった・・・・・・滅多にない、ようにしてくれ」
 そうならぬよう、強く強く祈った。


 * * *


「でも」とマルローネはふと思い出したような声でいった。
「こんだけ強力な薬だと、武器屋のおじさんもあたしみたいになっちゃうかしら?」
 数パターンの鬘を余裕で作れそうなほどの量の、”元マルローネの髪だったもの”を見ながら、彼女は首をかしげる。
「いや、どうかわからん。案外、少ししか生えないかもしれないし、逆に効きすぎてお前より酷いことになるかもしれん」
「適度に生えてくれれば一番いいんだけどね」
「なかなかそう上手く行くかどうか」
「そうよねえ。ま、でも作り直して渡してみるだけ渡してみるわ」
「・・・・・・・そうか。その際、もし物凄く髪が伸びだしても悲鳴だけは上げないでくれ、と伝えておいて欲しい」
「・・・・・・・うん?」

 流石に、親父の髪を切ってやるのだけはごめんなエンデルクだった。


  

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